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アニマガ情報ドットコム

アニメや漫画に興味がある人のための、情報共有ブログです。

日本野球とマンガ-日本の野球は格闘技だ!-

マンガ

野球とマンガについて論じた、おもしろいエッセイがありました。ちょっと長いんですが、これを読めば、近代史もマンガも野球も勉強できるという一石三鳥の記事です。

やや長いので、日本人には当然わかる部分は省略しました。

基本的にはそのままです。

一部、誤字脱字を修正しました

アメリカでは、ベースボールは娯楽である。日本では、ベースボールはマーシャル・アーツである。野球、つまりジャパニーズ・ベースボールは見慣れたもののようだが、騙されてはいけない。ルールは同じでも、競技の中身は大違いだ。『巨人の星 』『ドカベン 』『Major』といったベースボールマンガを見よ。アメリカ人選手は、出塁率のような個人の成績で評価される。だが日本人選手は、ヒットエンドランや犠牲バンドやスクイズのような、チームのためのプレーに焦点を当てる。日本の監督は悪名高いまでに支配的だ。たとえば、あるチームでは、選手は監督の許可なしに靴下を変えられない。

 

最大の違いは練習方法にある。日本では、春季キャンプは、気温およそ摂氏4℃の1月に始まる。レギュラー・シーズンに入ると、選手は試合前に四時間の練習をする。特訓は、真夏の暑さに打ち勝つにはうってつけの方法だと考えられているのだ。アマチュア選手においては、熱心さはよりひどいものだ。練習は、朝の6時から夜の9時まで続く。忍耐力を養うために、監督は選手をバットで叩いたりボールを当てたりする。元ニューヨークヤンキースのピッチャーである黒田は、15歳のときに、外野を四日間も走らされたことがある。一口の水も飲まずにだ。
 
近頃では、訴訟を起こされたことでこうしたことも減っているとはいえ、数十年もの間、スポーツマンガでロマンチックに描かれたことによって、"地獄の特訓"はいまなおスポーツの大部分に残っている。これは武道の精神に基づく哲学で、武道では、苦しむことで強さや特長を育むことができるとされている。なにも野球に限ったことではない。スポーツこそ、数千年の伝統の化身なのである。

汗と涙と血の小便

野球が日本に上陸した1800年代のなかば、選手は兵士のように練習をした。1854年、ペリーは日本に開国を迫った。西洋諸国と条約が結ばれるや、お雇い外国人が軍隊や教育システムに影響を及ぼす。そして、彼らはコミックとベースボールをももたらしたのである。
 
日本人は両者を受け入れ、自分たちのものにした。リチャード・F・アウトコーの『イエロー・キッド』のようなコミックストリップと、木版画や絵巻物とを融合させたのだ。ホーレス・ウィルソンやアルバート・ベイツのようなアメリカ人教師がベースボールを教えたものの、生徒たちはなんたるかを理解することはできなかった。というのは、日本には、チーム同士のスポーツというものが存在しなかったからである。だから、ベースボールは日本人の知っているものに姿を変えた。すなわち、武術にである。
 
他のスポーツ以上に、ベースボールは個人戦の集まりである。ピッチャーとバッタ―の対決は、柔道や相撲のような一対一の戦いを思い起こさせる。日本の教育者は、野球における忍耐、チームワーク、自己犠牲、そして武術らしさを称賛する。規律、忠誠心、尊敬といった日本の伝統的価値観を教えるための格好の方法とみなしているからだ。
 
日本野球普及の地である、第一高等学校の事例から明らかだ。ロバート・ホワイティングの『和をもって日本となす』によれば、一高の多くの生徒は武家の出身であり、学校の作った練習はまさしく武道を元にしたものだった。軍隊においては、兵士たちは、心身ともに鍛えるために、厳格な訓練を受けた。一高でも、生徒たちは同じ方法でベースボールに接した。ベースボールスタジアムは道場となった(文字通りである。アメリカ人教師がスタジアムの壁を剥がしてしまったさい、生徒たちは、神聖な場所を汚したとして、教師を攻撃したのだ)。そして、ベースボールは兵法になった。
 
軍事的伝統によって、一高の練習は過酷であり、苦しみを通して強くなるというものだった。チームのメンバーは、社会から隔絶した寮に住んだ。練習は残酷なもので、終わったころには、選手たちは血の小便を流した。とはいえ、結果は議論の余地のないものだった。日米による初の公式戦では、一高は29対4で勝利したのである。

マンガの伝統

この成功によって、一高の「武士道ベースボール」というスタイルが標準になった。これは、現代まで生き残っている。実際、軍隊的訓練は日本のスポーツでは確立されてしまっているので、スポーツに関連したポップカルチャーにおいても基礎的なものとなっている。近頃でも、”地獄の特訓”を描かないマンガを見つけることは至難である。

 

梶原一騎と川崎のぼるの『巨人の星』では、星飛馬という少年が日本一の人気球団である東京ジャイアンツでプレーすることを夢見る。飛馬は、父一徹の長く厳しい練習のおかげで入団できる。一徹はことあるごとに飛馬を殴り、飛馬がミスをするたびに自尊心を傷つける。大リーガー養成ギプスを付けた飛馬は、筋肉を増やす一方で、学校の笑いものになる。

 

しかし、『巨人の星』はホラーストーリーではない。向上心を描いた物語である。読者は飛馬が困難に克つ姿を望むのであり、このシリーズ(人気アニメにもなった)は、兵士のような完璧なアスリートとは、汗と涙と血の小便によって出来上がるのだという考えを一般的なものにした。日本のプロ野球選手は、しばしば『巨人の星』を野球をはじめた理由にあげる。マイアミ・マリーンズのイチローは、自分と飛馬のしつけられ方を比較している。もちろん、彼の父親は一徹と真逆だった。

 

『巨人の星』は、後に続くあらゆるスポーツマンガにテンプレートを用意した。”地獄の特訓”のシーンは、『ダイヤのA』や『Major』や『バトルスタディーズ』のような人気マンガにも描かれる。

 

あだち充の作品のような、やさしい野球マンガにおいても、練習の重要性は強調される。あだち充作品はしばしばラブコメに分類され、試合の一部始終よりも十代の恋愛に焦点を置いているが、スポーツという要素も重要な部分である。

たとえば『タッチ』は上杉達也と和也という双子の兄弟の物語だ。和也は高校のエースピッチャーで練習熱心。対照的に、達也はやればできるのにやらない怠け者。和也の死によって、達也は変わることになる。辛い練習の末、達也はチームを甲子園に導く。甲子園は毎年行われる日本で一番のスポーツイベントであり、世界最大のアマチュアスポーツ大会でもあり、長い歴史によって、日本においてはほとんど宗教的なものになっている。達也の練習が星飛馬ほど残酷なものでないとしても、通底するテーマは同じものである。何ヶ月もの練習と自己犠牲を払った達也は、甲子園のマウンドに立つのにふさわしいほど”純粋”だったということだ。

 

地獄の特訓は野球マンガに留まらない。『アイシールド21』というアメリカンフットボールを扱ったマンガや、バスケットボールマンガの『SLAM DUNK』にもハードコアな練習シーンがある。地獄の特訓は、アクションマンガやバトルマンガにもあらわれる。『進撃の巨人』のアニとエレンも経験する。『BLEACH』の主人公、一護は、練習によって、ことあるごとに疲れ果てている。『DRAGON BALL』は不自然なほど極端で、ときには笑えるほどである。数百ポンドの服を着て訓練したり、超重力の部屋で戦ったりするのだ。

 

マンガのなかでは、スポーツも武術も同じように見える。『ドカベン』の絵と、アクションマンガの『NARUTO』の絵を比べてみよう。どちらも細いスピードラインを用い、あえてキャラクターや物をゆがめて描くことで、激しく暴力的な、終わりのない動きを表現している。

 

地獄の特訓は、単なるサディズムではない。日本の野球文化には、肉体的にキツイトレーニングをすることで、度胸や無私の心や和といった伝統的価値観を会得できるのだ、という心からの信念があるのだ。健全な精神は健全な肉体に宿る。ロバート・ホワイティングによれば、伝説的な監督である飛田穂洲にこういう言葉がある。「練習の目的は、健康ではなく精神の鍛錬にある。強い精神は、強い練習によって生まれる」。マンガにおいては、これは正しい。そして、日本の野球の成功から判断するに、現実世界でも真実のようだ。

 

 

どうでしょうか。

スポーツマンガでおなじみのスパルタ練習は一高が元祖で、またそれで勝っちゃったもんだから成功体験を得てしまい、その成功体験をマンガが補完したというお話しでした。『巨人の星』のあらすじだけ聞くと、たしかにDV親父にいじめられる子どもみたいですね。

野球とマンガという、互いに文明開化によってアメリカから日本にもたらされたものが、車の車輪のようにお互いを補強しあう関係にあったんだよ、という大変興味深い記事でした。

余談ですが、記事で言及されている飛田さんという監督のエピソードをネットで探して読んだんですが、すごいですね。指から血が出てもボールを投げろという、本当に鬼監督です。

興味あのあるかたは、こちらのサイトが詳しいです。