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アニマガ情報ドットコム

アニメや漫画に興味がある人のための、情報共有ブログです。

ストーリーボード化するコミック―コミックにおける表現技法の変化について―

マンガ

Comics(いわゆるアメコミ)のストーリーテリングについて考察しているおもしろい記事があったので紹介します。

マンガの圧縮解除話法(decompressed storytelling)が輸入されてコミックの表現技法に変化が起こったのと同じように、いまはテレビや映画のストーリーボードの影響を受けてコミックの表現技法に変化が起こっているのではないかという主張です。長いので、ところどころ要約します。decompression(圧縮解除)ってなんやねんという方は、リンク先のウィキを例をご覧ください。

・15年ほど前、マンガの圧縮解除という技法が導入されて誰もが夢中になった。もっともそのブームも落ち着き、一部に影響は残っているものの、コミックはまたかつてのような技法にもどった。

・とはいえ、いまのコミックは20年前よりも中身のない読み物である。どのコマにもフキダシと文字がいっぱいだったコミックはなくなってしまった。90年代のコミックと比べて、いまのコミックは半分の時間で読めてしまう。ページ数はどんどん増えて、同じ場面を語るためにいくつもの絵が使われる。マンガによって導入された圧縮解除技法は、この極端な例だった。

・いまの読者は、新たな技法の登場を目撃している。圧縮解除技法はマンガから生まれたものだが、この新たな技法はテレビや映画から生まれたものだ。

・テレビドラマや映画の世界では、ストーリーボードの使用が増えている。コミック作家がストーリーボードを描くこともあれば、ストーリーボード作家がコミックを描くことも増えている。

・しかし、コミックとストーリーボードの間には決定的な違いがある。ストーリーボードは、いくつものパネル(コマ)によって構成されており、映画のショットがそうであるように、それぞれのパネルの割合は一定だ。ストーリーボードが出版されることはないから、物語を伝えるためにどれほどの絵を描こうとかまわない。

・つまり、コミックとストーリーボードの間の違いは物語の語り方にある。コミックはある瞬間を捉えたいくつものコマによって語られる。ひとつのコマでは複数の出来事が起こるのだが、作家はそのすべてを絵で描くことはない。作家が描くのはあくまでひとつだけで、そのほかの出来事はフキダシや文章で説明するのだ。コミックは、その性質上、ストーリーを動かし続けるために圧縮(compression)を試みる。

・一方で、ストーリーボードはあらゆる場面のあらゆる事柄を語る。というより、ニュアンスや感情の変化を描くために、ストーリーボードはある。コミックのひとつのコマには、ストーリーボードのパネル三つほどのものが収まっているのだ。

・この頃のコミック作家は、こうした技法を使いすぎているように思える。ふたつのキャラクターをひとつのコマに描いて両者の間を会話で埋め尽くすということはせず、複数のコマを使って、両者の行ったり来たりするやりとりを逐一描くのだ。

・これは圧縮解除などではない。劇的な効果を狙って、ある瞬間をものすごく多くのコマやページに広げただけだ。つまりストーリーボードのやり方であり、そこでは、作家は監督や役者としてふるまうことができる。

・これは『Walking Dead』のページだ。ドワイトが避難所を去ろうとしており、そこにラウラが追いついてくる場面である。

・昔ながらのストーリーテリングであれば、このページは3コマになる。最初の二つのコマと次の二つのコマは簡単に組み合わせられる。最後のコマはかっこいいので、そのままでいい。

・では、なぜ五つのコマが使われているのだろう。答えはペーシング(pacing)だ。この場面はふたりにとって重要なものであり、したがって、読者は息継ぎ(breathe)するためのスペースを欲する。もちろん、シリーズ全体でこうした話法が使われているので、ここだけ違った話法を使うのは不自然になるという理由もある。

・一コマ目では、ドワイトが名前を呼ばれ、肩越しに振り返っている。絵とフキダシが一致している。ドワイトが肩越しに振り返っている絵で、誰かが彼を追ってきていることがわかる。これがひとコマ目だ。

・二コマ目では、カメラアングルが変わり、読者に向けてラウラが紹介される。彼女は左側に描かれており、これは前のコマとも一致している。次の二つのコマでも、ラウラは左側に、ドワイトは右側に描かれている。ドワイトがラウラという人物に自分じしんを説明する。これがこのシーンのビート(beat)であり、作者の絵はこのふたりに集中している。

・三コマ目では、ラウラだけが話している。ドワイトの順番は終わり、ここで新たなビートが始まる。ここには、行ったり来たり(back-and-forth)のやりとりはない。ラウラが二言話し、作者は彼女を微笑ませることによって彼女の感情を強調する。

・四コマ目では、ドワイトが微笑みかえす。一コマ目から四コマ目までの四つのコマにおいて、ふたりはそれぞれ二度づつ話している。発言者が変わるたびに、読者は次のコマを見ることになる。架空のカメラは両者の間をぐるりと動き、最後はカメラの位置が完全に反転するというわけだ。

・監督がこのエピソードをドラマ化したければ、このコミックスをそのままストーリーボードにすればいい。どのコマが必要で、どうやってカメラを動かせばいいかもわかる。

・例に挙げたページで使われているのは、圧縮技法ではない。圧縮技法の場合、縦に並んだ五つのコマを使って「馬に乗ったラウラが近づいて来て、遂にドワイトに声が届くほど近くに来る」という場面が描かれるはずだ。つまり、ここで使われているのはストーリーボードの技法である。

・次に、『スーパーマン・リターンズ』などに関わったストーリーボード作家の『The Invisible Repblic』を見てみよう。

・先ほどと同様シンプルな会話しかないが、この作品ではコマが変わるたびに新たなキャラクターが話している。ストーリーボードがよくやるように、カメラアングルと構成は、会話の内容とマッチしている。

・一コマ目に書かれた"we(われわれ)"という言葉が指す対象は明らかだ。コマに見えるふたりのことである。もし作家がより広いアングルを選んでいたら、ドライバーと助手席の人物も描かれたはずであり、そうなると"we"が指す対象は不明確になってしまう。ここでは、作家は読者の視線を会話中の人物に集中させている。さらに前部座席の肩部分を見せることで、このふたりは後部座席に座っているということも明らかにしている。

・ニコマ目では、作家はカメラアングルを変えている。これは良い判断で、最初に言葉を発した人物は左端に描かれている。そして再び、この「we」はコマに描かれたふたりのことなのだということに言及している。

・三コマ目では、話者はコマの外側にいるがオーケーだ。というのは、発言に対するリアクションこそが興味をそそられる部分だからである。話者の顔を描くより、半開きで「あー、たしかに・・・」と思っている聞き手の顔を描くほうがストーリーテリングにプラスになる。

・いままでは進行方向と反対向きに描かれていたが、四コマ目では前向きに描かれる。前部座席に座っている人物が明らかになり、後部座席にいるふたりとの関係も明らかになる。

・五コマ目は、よく練られた広角のコマである。"we're almost home!(もう着くよ)"というセリフは、まさに"home(家)"が見えたと同時に発せられる。このコマの目的は、家と四人との関係性を明らかにすることにある。このコマの、車の外側から描かれた広角ショットという選択は完璧だ。コマの左側に描かれた三角形の土煙は、車のスピードを教えてくれる。そして、読者の視線は丘の上の家に導かれるわけだ。車の後方にはどちら側から来たかを示すスピードラインが描かれ、車の前方にはどちら側へ行くかを教え、同時に読者が息継ぎをするためのスペースがある。

・移動を表すための第一原則はこれだ。「移動するための空間をもうけよ」。何かが左から右に移動していることを表したければ、その何かを右端に描いてはならない。そうすると、移動するための空間がなくなってしまうからだ。また、左端に描いてもならない。その何かがどこから来たのか読者にわからなくなってしまうからだ。これが純粋なストーリーボードであれば、移動の方向を示すための矢印が書かれるだろうが、コミックならスピードラインを書けばいい。

・このページをもっと単純にできるだろうか? もちろんできる。ページを二つのコマにわけて、最初の一コマにフキダシを押しこめばいい。だが、それは見た目的につまらないし、読みづらくなる。読者は視線を動かすのが好きなのだ。これが近頃のストーリーテリングの技術である。読者を身体的に動かしつづけよ。

・さらに一コマにフキダシを押しこんでしまうと、視覚情報が会話のノイズになってしまう。一コマのなかで進行する会話劇は、「絵付きラジオ」のようでつまらない。

・例に挙げたコマはどれも、①ストーリーのビート(beat)に適うよう、瞬間的な出来事を描いている。②会話や説明にフォーカスされている。③カメラのカットの代わりである。

・ストーリーボード化(storyboarded)されたコミックは、ひとつのコマの比重が軽くなっているので早く読める。読者の視線は、コマからコマへ素早く移動する。たとえコマが小さく、1ページにたくさんのことが起ころうとも、読者は素早く読んでいる気になる。というのは、文字でいっぱいのコマに視線が留まることがないからである。

 

どうでしょう。

昔ながらのアメコミでは、ひとつのコマに複数の瞬間が描かれるのが当たり前でした。これがCompression(圧縮)なのですが、マンガの影響によって(これが本当かどうかはちょっと怪しい)ひとつのコマにひとつの瞬間を描くという技法が流行してしまった。これがDecompressionです。

やっとブームが去ったと思ったら、また別の技法が流行している。それがStoryboardingであるということなんですが、しかしですね、これって日本のマンガではかなり当たり前すぎて、正直あまりぴんとこなかったんですよね。

まあ、もしかしたら私の理解が間違っているのかもしれないです。

さらにいえば、このエッセイの著者がどういう人なのか不明ですし、この議論がどの程度妥当なのかを判断する力は、私にはないのですが。